「病院のごはん、おいしくないよね」
入院した家族から、そう言われたことがあるかもしれません。
それは、そのとおりです。 病院の食事は、おいしさを最優先には作られていません。
ただ、あの形には理由があります。
そして理由が分かると、家に帰ってから何を真似して、何を真似しなくていいかが見えてきます。
この記事は、病院の中から見た病院食の話です。
病院食は、治療の一部です
まず、ここが家庭と決定的に違います。
病院で出される食事は、医師の指示で決まっています。
- どの形態か(形態は誰が決めるのかの記事)
- 塩分をどのくらいにするか
- エネルギーをどのくらいにするか
- 制限があるかどうか
勝手に変えられません。 「もう少し味を濃くしてあげたい」と思っても、できないのです。
食べられなくなったときの記事に書いたとおり、味は病院ではどうにもできなかったことでした。
食事も、薬と同じように扱われている。 そう考えると、分かりやすいと思います。
だから、薄いのは仕方がありません
病院食は、塩分を控えて作られています。
そこに、「味がしない」の記事で書いた味を感じる力の変化が重なります。
- もともと薄味に作られている
- 本人の感じ方も変わってきている
この2つが重なるので、「味がしない」という声が出ます。 どちらか一方だけの問題ではありません。
これは、「味がしない」の記事で書いた見分けにつながります。
入院中だけ「味がしない」と言っていたなら、病院食の味付けが理由かもしれません。 家に帰って普段の味付けに戻して満足しているなら、感じ方そのものは大きく変わっていない可能性があります。
温度は、思っているより保たれています
ここは、誤解されやすいところです。
私がいた病院では、保温庫のついた台車で運んでいました。 ですから、常に温かい状態で配膳されます。
「病院食は冷めている」というのは、少なくとも私のいた場所では当てはまりませんでした。
食事の時間についても
病院の食事時間は、家庭より早いことがあります。
ただ、時間について文句を言われた記憶は、ほとんどありません。 入院生活のリズムに、自然と合っていくのだと思います。
つまり、温度は家庭のほうが不利になりやすい
ここが大事なところです。
食事に時間がかかるときの記事に書いたとおり、食べるのに時間がかかる方は、家庭では料理が冷めていきます。 病院には保温の設備がありますが、家庭にはありません。
1日の献立の記事に書いた器を温めておくという工夫は、ここを埋めるためのものです。
温度に関しては、家庭のほうが意識しないといけません。
病院によって、味の濃さは違います
ここも、書いておきたいことがあります。
私がいた病院は、他の病院より味が濃いようでした。
転院してこられた方から、「ここのごはんは食べられる」と言われることがありました。
つまり、「病院食は薄い」と一律には言えません。 同じ「減塩」の中でも、病院ごとに差があります。
これは、家族にとって意味があります
「味がしない」の記事で「入院中だけ味がしないと言っていたのか」を見分ける、と書きました。
そこに、もうひとつ加えてください。
どこの病院に入院していたかでも、話が変わります。前の病院では食べられなかったのに、転院先では食べられた。そういうことが、実際に起こります。
「病院食が食べられなかったから、もう味が分からなくなっている」とは限りません。
変えられたのは、主食くらいでした
好みを聞いて手配する、と入院中に家族ができることの記事に書きました。実際にできた範囲を、正直に書いておきます。
- ごはんを、お粥に変える
- ごはんを、パンに変える
だいたい、このあたりまでです。
食べられないものを外す、形態を変える、といった調整はできます。でも、「今日はこれが食べたい」に応えることはできません。
献立は先に決まっていて、その日のものが運ばれてきます。
それでも、行事のときは違いました
最後に、ひとつ。
お正月や、季節の行事があるときは、いつもより少し豪華な食事が出ていました。
栄養の計算も、形態の管理も、いつもどおりです。その枠の中で、見た目や内容が少しだけ変わります。
病院食は治療の一部だと書きました。それは事実です。
でも、そこで働いている人たちも、食事が「ただの栄養」ではないことを分かっています。 だから、行事のときには少しでも違うものを出そうとする。
これは、家庭のほうがずっと自由にできます
行事のときに、何か一品変える。
家庭なら、献立の制約も、決まった献立表もありません。 誕生日、お正月、季節の節目。
食べられなくなったときの記事に書いた「明日は◯◯を作るね」も、行事なら自然に言えます。先に楽しみを作れるわけです。
病院がわずかな枠の中でやっていたことを、家庭はもっと大きくできます。
では、何が優れているのか
悪いところばかり書きましたが、病院食には家庭が真似できない強みがあります。
栄養が計算されています
管理栄養士が、その人に必要な量を計算しています。
家庭では、ここまでできません。そして、やろうとしないでください。 できないことを目標にすると、続きません(退院後1週間の記事)。
形態が安定しています
毎食、同じ形で出てきます。
家庭では、作る人が変われば形も変わります。日によってもばらつきます。この安定性は、病院の強みです。
毎食、誰かが見ています
形態は誰が決めるのかの記事に書いたとおりです。食事の様子が毎食記録され、変化が積み重なりで見えます。
家庭にはこれがありません。 だから家族が見る役を引き受けることになります。
家に帰ったら、何を真似するか
ここが、この記事の結論です。
真似すること
① 形態は、病院で言われたものから始める
これは守ってください(入院で落ちるものの記事・形態は誰が決めるのかの記事)。
② 姿勢と介助のやり方
食事の姿勢の記事に書いたとおりです。ここは病院のやり方がそのまま使えます。
③ 一口ずつ確かめてから次を入れる
退院後1週間の記事で書いた、ひとさじの量の話です。
④ 間食を使って、1日の合計で見る
間食とおやつの記事。病院でも医師の判断のもとで間食を出していました。
真似しなくていいこと
① 完璧な栄養計算
できません。1週間で見れば十分です(1日の献立の記事)。
② 薄い味付け
塩分の指示が出ているなら従ってください。 でも、指示の範囲内でも、家庭のほうが美味しくできます。
出汁を濃くひく。酸味を足す。香りを立てる。作りたてを温かいまま出す。これは全部、病院にはできないことです(「味がしない」の記事)。
③ 決まった時間に、3食
本人のリズムに合わせてください。 食べられる時間に、食べられる量を。回数を分けても構いません(食事に時間がかかるときの記事)。
④ 毎食、同じものを同じ形で
家庭は、選べます。 好きだったものを出せます。間食とおやつの記事の「今日は何にする?」が使えます。
病院と比べて落ち込まないでください
退院後、「病院のほうがちゃんとしていた」と感じることがあります。
栄養が計算されていて、形も安定していて、専門職がついていた。それと比べたら、家庭の食事は頼りなく見えます。
でも、比べる必要はありません。
退院後1週間の記事に書いたとおり、病院と同じものを家庭で再現するのは、そもそも無理です。 設備も人手も違います。
そして、食べられなくなったときの記事に書いたことをもう一度書きます。
病院にできなくて、家庭にできることがあります。
好きだった味に寄せられる。温かいまま出せる。食べたい時間に出せる。そばに家族がいる。
病院食が正解ではありません。 治療の場での正解だっただけです。
家に帰ったら、家の正解を作ってください。
そして、病院が限られた枠の中でやっていたこと ── 行事のときに少し違うものを出す ── を、家庭はもっと自由にできます。
まとめ
- 病院食は治療の一部。 医師の指示で決まっていて、勝手に変えられません
- 薄いのは仕方がない。 塩分管理+味覚の変化が重なっています
- 「病院食は冷めている」とは限りません。 保温庫つきの台車で運んでいました
- 温度はむしろ家庭のほうが不利。 時間がかかる方ほど、器を温めるなどの工夫が要ります
- 病院によって味の濃さは違います。 「病院食が食べられなかった=味が分からなくなった」とは限りません
- 変えられたのは主食くらい(ごはん→粥、ごはん→パン)
- 行事のときは、いつもより少し豪華に。 病院も食事を栄養だけとは見ていません
- 病院の強みは、栄養計算・形態の安定・毎食の記録
- 真似すること ── 形態/姿勢と介助/一口ずつ確かめる/間食を使う
- 真似しなくていいこと ── 完璧な栄養計算/薄い味付け/決まった時間に3食/毎食同じもの
- 病院食が正解ではありません。 治療の場での正解だっただけです
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この記事を書いた人
調理師の資格が取れる高校を卒業後、看護師として病院に勤務。集中治療室(ICU)を経て、再び食の世界へ。医療と調理の両方の現場から、家庭でできる療養食のことを書いています。
看護師/調理師/食育インストラクター/野菜ソムリエ
